2022.06.23

【徒然本店】落語の操縦士(後編)

国立本店メンバーによる連載エッセイ「徒然本店」、今回もアキヤマがお届けします。

前編はこちら

立川吉笑さんインタビュー

―伝統芸能に造詣が深いと言われている九龍ジョーさんとはどのようにして知り合ったのですか?

高円寺の飲み屋でラッパーみたいな人にべろべろに酔いながら話しかけられて、僕が落語家ということが分かって、その人が九龍ジョーさんに電話してたんですよね(笑)
それがきっかけで九龍さんとよく飲みに行くようになりました。その出会いがきっかけで、フックアップしてもらった感じです。現在落語論の編集も九龍さんの仕事なんです。

―九龍さんといえば、音楽分野だと特にインディミュージックに興味があるのかなと思うのですが、音楽の趣味は合いますか?

うーん、趣味があう訳ではないかな。僕はポストロックが好きなんです。

―ポストロックとは…?ポップミュージックを超越したハイパーポップの、ロック版ですか?

ハイパーポップがわからないのですが、そういう括りのものではないです。
ロックの一種ですかね。特に東欧的なのをよく聴きますね。

―音楽はどういった時に聴きますか?

サクサク進めたいときですね。事務処理とか、書き物をするときとか。
スケジュール管理や経費精算は自分でやっているので、事務処理が多いんです。
だから、日本語の歌詞がある音楽はあまり聞かない。そっちに意識がいっちゃうので…。
マスロックもよく聴きます。マスは、数学のマスです。
規則的なメロディのリピートを聴いていたいんです。

―音楽のサブスクは何を使ってますか?

何も使っていません。クレカを持っていないので…

―落語の話を聞けたらと思うのですが(すみません…ようやく聞きます)、吉笑さんは観客の反応をけっこう見ていますか?

かなり見てますね。
例えば、同じ舞台芸術を考えたときに、演劇はその役に没入するけど落語は違うと思います。その役に没入するんじゃなくて、お客さんの反応を見て都度変えていく。
言ってみれば、サービス業の基本みたいなことを常にやっているんです。

―なるほど、相手の反応が落語を構成していく上でとても重要だということですね。
―その他に工夫していることはありますか?

やはり演出ですかね。
僕も含めた若手落語家・浪曲師で結成している「ソーゾーシー」というユニットがあるのですが、その会の演出はとても考えてやっています。
高座の高さ、屏風の色、マイクの音量とか、細かいところまでこだわっています。

―こだわりを出せるのはなぜですか?演出のやり方などは独学ですか?

なぜここまで徹底できるかというと、僕が東京に来たきっかけまで遡ります。
僕は京都出身なのですが、高校卒業後は関西でお笑い活動をしてたんです。

縁あって東京に呼んでもらったんですが、
僕を東京に呼んでくださった放送作家の倉本美津留さんが、お笑いライブを作る時に本当に緻密な演出をしていて、暗転の瞬間や音の出し方、照明のあて方…本当に様々なことにこだわっているんですよね。
僕はそこで演出の大事さを学ぶことが出来ました。

本来ショービジネスって、当たり前に緻密な演出をやってたりするんです。
例えば、開演前に会場にBGMを流しますよね。無音だと寂しいから雰囲気作りに。
そのときさらに緻密に演出するなら、開演が近づくにつれて、お客さんには気づかれないように少しずつ音量を上げていくんです。するとどうなると思いますか?
隣の人とおしゃべりしていた人が、BGMの音量があがるのにつられてより大きな声で喋るようになるんです。
そうすることで、身体が温まるし、声を出すことにも抵抗がなくなるし、結果笑ってもらいやすくなる。

BGMの音量操作で発声練習をしてもらってるんです(笑)

―演劇や演出というキーワードも出ましたが、演劇・アニメ・映画など様々な表現方法で用いられているメタ構造ですが、吉笑さんの落語は本編がとてもメタ的ですよね。

そうですね。僕はネタの中で急に次元が変わるというか、物語のレイヤーが変わるのが好きなんです。例えば、僕の創作落語で「落語家ロボット」が登場する演目があります。
「実は今いる落語家のほとんどが、中に人が入って操縦している落語ロボットだったら」という設定のネタです。
主人公は落語家ロボットの操縦士たちで、寄席での出番を問題なく終えるために様々なトラブルに対応しながら必死で落語家ロボットを操縦します。次の瞬間、主人公たちに操縦されている落語家ロボットそのものを演じます。これ、見ているお客さんにとっては見た目はずっと同じなわけです。着物姿の僕が正座して左右を向いて喋ってる。
でも物語の展開によって、落語家ロボットそのものを演じている時と、その内部の主人公たちとを演じている時と、それこそ異なる次元をシームレスに描き分けることができる。
これが落語の強みだと思うんです。

僕はそこからさらに「そんな落語を演じている僕」というレイヤーと、「そんな落語を見ているお客さん」というレイヤーの境界線を溶かしたいと思っています。いわゆる「第四の壁」を超えていきたい。

落語家ロボット自体は噺の中の高座にいて、噺の中のお客さんと対峙している。でもそれを演じている僕は現実とされるいまここにいて、現実のお客さんと対峙している。このメタ構造をうまく活かすことで、なんとか虚構と現実の境目をあやふやにできないかと最近は考えています。

―今日はここ、国立本店で落語をして頂ける訳ですけど、見てもらうとわかるように本に囲まれてかなり狭いですよね。すみません(汗)

いやいや、そんなことないですよ。本当に色んなところでやりますから。
それに、落語と読書は親和性が高いと思うので今日は余計に楽しみなんです。読書は想像力が必要ですよね。ただ文字を読んでるだけじゃどうにもならなくて、その文字を触媒に頭の中でイメージすることで楽しめる。それは落語を聴くときにやるべきことと同じ作業です。

以前、下北沢にあるダーウィンルームという学術書を多く置いている本屋で落語会をやった際は、とても盛況で終わりました。まぁその時は落語会といっても、アカデミックなことや仏教について話したんですけど…。

僕はもともと数学や論理が好きでした。極端に言えばあらゆるものが「AかBか」と二者択一で規定される、その厳密性に惹かれました。
それがあるとき、例えば華厳経なんかが最たるものですけど「AじゃないけどBでもない」というような一見矛盾するような状況を認める東洋的な論理体系があると知り、愕然としました。二重否定が肯定にならない場合がある。なんだこれは?と。
でもよく考えたら西洋的な論理体系を突き詰めた量子力学の領域では「シュレーディンガーの猫」の例えが有名ですけど、「猫は存在すると同時に、存在しない」というような観測問題、ある種矛盾を内包した状況が確認されてもいる。
こんな感じで数学や科学と仏教について話すことになったら、どんどんそういうのが好きな人が集まってきたんですよね(笑)

「吉笑さん、そろそろお時間ですので…」

主宰の友人が落語会の時間を気にして声をかけてくれた。

「そうだ、もうそんな時間ですね」

カラフルな柄がでかでかとプリントされたTシャツを着ていた吉笑さんが着物に着替えにいった。開演時間になる。出囃子が流れる。
さっきまでポストロックやマスロック、華厳経について話していた人が高座にあがる。

恥ずかしながら私は、長らく落語を伝統芸能だと思っていた。学生時代、古典落語しか演じてこなかったからかもしれない。
そのうえで、古典落語に現代的な要素を取り入れて舞台の不一致を生じさせる手法に少し飽きていたと思う。
この手法で笑いを取れることも分かっていたし、ショービジネスを構成していく上で不可欠な要素だとも思っていた。
それと同時に、これが伝統芸能である落語の「奥行き」の限界だと思っていた。

でも今、目の前で創作落語をやっている人を見て思う。
落語は、あらゆるカルチャーが集える「場所」で、奥行きも幅も自由自在だ。
言い換えれば、落語を操縦する者の研究し尽くした知識とその人が愛するカルチャーで満たすことで拡張可能な空間なのかもしれない。

というより、目の前で落語を操縦している人は落語家なのだろうか?

演出家かもしれない、いや、あの夜フロアを沸かせたDJだろうか?それとも、劇作家?あるいは、ライブに定評にあるミュージシャンかもしれない。
はたまた、カルチャー誌や文芸誌によく寄稿している大好きなライターかもしれない。

もしかしたら、この全員なのではないだろうか。

「今日は本当にありがとうございました」

主宰の友人が、国立本店の入り口で挨拶をする。
さっきまで着物を着て落語を操縦していた人が、カラフルな柄がでかでかとプリントされたTシャツを着ている。

「またぜひ、国立本店での落語会に呼ばせてください」

私も友人に呼応するように大きく頷く。

落語家(落語操縦士)はポップカルチャーを繋ぐ存在である。
操縦士によって、操縦の仕方や機体もそもそも違うだろう。

兎にも角にも、百聞は一見にしかず。

音楽・文芸・映画などカルチャー全般に生かされている人は、一度立川吉笑さんの落語を見た方が良い。ぜひ見てください。

【立川吉笑(たてかわ きっしょう)さんプロフィール】
1984年生まれ。京都市出身 立川談笑門下一番弟子。
わずか1年5ヶ月のスピードで二ツ目に昇進 古典落語的世界観の中で、現代的なコントやギャグ漫画に近い笑いの感覚を表現する「擬古典〈ギコテン〉」という手法を得意とする。
著者「現代落語論」の他、雑誌などへの執筆も多数。
→公式サイト

text by AKIYAMA
アキヤマ
労働と労働の間で探し物をしている
家では介護や家事をして、昼間は地方公務員として働いています。そのスキマで映画見たり本読んだり、俳句作ったり、自治体が作るジェンダー平等冊子でライターしたり、通信大学で福祉を学んだり…スキマに色んなことを詰め込んでやってます。
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