【徒然本店】貧乏書生は今日も行く
国立本店メンバーによる連載エッセイ「徒然本店」、今回は小菅のびがお届けします。
お疲れスキニー号
○本店夜行
電車賃を払いたくない。
それが故、至極当然とばかり自転車スキニー号をアシにしている。国立本店までは片道40分。運動にもなるのだ。昼の国立も良いが、夜に本店界隈に出没も、格別味わいがある。暗さの中に、着想は生まれやすいようだ。また、夜に読書をすると、奇妙なほど胸はときめく。本店では自分の読まない他ジャンルが読めて嬉しい。
○高円寺遠征
スキニー号は私を乗せて高円寺まで行くことがある。しかしオススメはしない。自宅の東村山からは遠すぎるのだ。お疲れ、スキニー号!
とは言え高円寺は東京のインドであるから、未踏のひとは必ず行くといい。
誰もいない/誰かいる
○孤独は前提
孤独というのは、「完全な」孤独でない限り、必須と考えている。
我々はひとり、なのだ。ひとりの身体であり、ひとりの命だ。ひとり産まれ、ひとり死ぬ。ひとりを否定することは不可能だと考える。
○君がいるなら誰かいる
ひとりを肯定できたなら、あなたはひとりではない。誰かの存在、身近な友人の存在に感謝できる。誰かが、いつもそばにいるように思えるのではなかろうか。
オマケに、国立本店にはいつも暇な誰かがいて、話し相手求め寛いでいるのだ。
text by NOBI KOSUGE

小菅のび
国立本店の書生。英語講師職で身銭を稼ぎ、専ら文章の鍛錬に勤しむ。
国立本店の書生。英語講師職で身銭を稼ぎ、専ら文章の鍛錬に勤しむ。