2021.10.15

【徒然本店】10歳の私と30歳の私が大学通りを歩く

国立本店メンバーによる連載エッセイ「徒然本店」、今回はアキヤマがお届けします。

私は人生の大半を吉祥寺で過ごしているのだが、そこから中央線で数駅先にある国立をまだあまり知らない。知らないけど、昔から大好きな街だ。

自らの都合でイメージを作り上げることは往々にしてある。私たちの記憶や感情はとても曖昧だし、自分にとって都合の良いイメージほど長期保存ができるからだと思う。

なぜ私がよく知らない国立の街に良いイメージを抱いているかというと、答えは恐ろしく単純で、初恋の人が国立の学校に通っていたからだ。
明らかにキモそうな文章が出来上がりそうだが、少し我慢して読んでいただけたらと思う。

ここでは初恋の人をAくんと呼ぶことにする。
今から20年前のこと。Aくんは色白で儚げな男の子で、対して私は「まっくろ」というあだ名をつけられた女の子だった。

日に焼けた肌が大嫌いだった

小学校時代、私の顔や腕はこんがりと日焼けをしていた。
日焼けの原因は小3から始めた少年野球だ。高校球児並みにこんがりと日に焼けた素肌は最初こそ勲章だと感じたが、だんだんと私に暗い影を落していった。

「まっくろ!」そう呼びかけられた。
私を指した言葉とは夢にも思わなかったが、どうやらある男子生徒が私に対して発した言葉のようだった。男子生徒はいつの間にか私を、名前ではなく「まっくろ」と呼ぶようになった。

今の私であれば、どんな形容の仕方であれ容姿について言及されたら「は?黙れ。」と思える。
しかし、「まっくろ」と呼ばれた小4の私は、日に焼けた肌を持つ自分自身が嫌で嫌で仕方なくなった。

もっと私が平均的な見た目の女の子であれば、男子生徒は意地悪をしなかったのではないか。

私立生徒に埋もれながら塾に通う

そんな思いを抱き始めた小4の夏、私は同居の祖母にすすめられ塾に通い始めた。算数と数学のみを扱う学習塾で、各自プリント学習を行い、分からない箇所は先生に聞きに行くというスタイル。

半数以上は中央線や井の頭線沿線にある私立学校の生徒で、私のような公立学校生は少数派だった。

塾に通い始めてしばらくしたある日のこと、クラブ活動が長引いていつもより遅く塾に到着した私は、足が地面に貼りついたように突っ立って、嫌な汗をかいていた。

塾では会議室にあるような3人席の長机の端と端に生徒を座らせるのだが、遅い時間帯になると混雑してくるため、中央の席も学習席として開放される。

私は中央の席に座るのが嫌で、出来るだけ早めに行くようにしていた。

しかし、その日は間に合わなかった。到着した頃には全ての端と端は占領され、きっちりと制服を着こなした生徒たちは一切顔を上げることなくプリント学習に励んでいた。

どこかに座らせてほしい。
恥ずかしい。
誰も私を見ない。私は存在していないのか?
体が動かない。毛穴という毛穴から嫌な汗が出てくる。

なんなんだよ?私がまっくろだから気付かないふりするのか?知るかそんなの!

世界一やさしい声だと思った

少し遠くから声がした。「ここどうぞ」

あれ?自暴自棄になった私の心の声が聞こえたのだろうか。それとも、思わず声が出ていたのだろうか。

「ここどうぞ」と聞こえた方に目を向けると、自分の隣の席を指差す制服姿の男の子がいた。

この人こそがAくんである。

私は心底驚いた表情をしていたと思う。なぜなら、同年代の男の子に尊重してもらったのが記憶する限り初めてだったから。
そして、声の主が色白で儚げで、とても素敵だったから。

そそくさとお礼を言いながらAくんの隣に座った私は、正直勉強どころではなかった。

何だ、この大人びた振る舞いは!うちの学校の男子生徒と何もかも違う。どうしたらこんなに素敵になれるのだろうか?果たしてどこの学校なのだろうか?

なんてことをしきりに考えていた。

この日Aくんは難解な問題があったらしく、何度も先生に質問をしに行っていた。

「Aくん、この解法はちゃんと理解しておいた方が良いよ。『とうほう』は三学期から小6の単元に入って一気に難しくなるからね。」

「とうほう」

とうほう。変な名前。山梨名物、ほうとうみたいだ。
母が仕事から帰ってきたらどこにある学校か聞いてみよう。

そのうちに端の席も空いてきたため、先生は中央席に座った生徒に空いた端の席に移動するように声をかけた。
名残惜しかったもののキモいと思われたくなかったため、即座に席を立ちお辞儀をして立ち去ろうとした。

その際、Aくんの足元にある荷物が目に入った。学校指定のバッグに学校名がプリントしてあった。
「桐朋」

読めない…けど、これで『とうほう』と読むのだろう。
桐ダンスの桐と月が二つ。
桐ダンスと月が二。桐ダンスと月が二。桐ダンスと月が二。忘れないようにしないと。

22時過ぎに仕事から帰ってきて明らかに疲れていそうな母に私はまくしたてた。

「桐ダンスと月が二つ。とうほうって読むみたい。私立小なんだけどさ、どこにある?」

「え?なにそれ。私立?学校?あー、なんかあるね。桐朋学園じゃない?どこだっけ。あっちの方だよ。立川とか、なんだっけ…国立かな?」

「くにたちかぁ、どこ?」

「昭和記念公園があるところ。」

吉祥寺から見れば確かに昭和記念公園方面ではあるが、今思えばかなりざっくりした説明だったように思う。
平時から母は適当だったが、疲れていると猶更適当になった。

その時からAくんが通う学校のある「国立」は、きっと素敵な街に違いない、いつか行ってみたいと思いを馳せるようになった。

塾の帰りに立ち寄った駄菓子屋

心のお守り

私がAくんに対して抱いていた感情は間違いなく好意だと思うが、同時にAくんの態度と行動に救われたという思いも大きかった。
Aくんは目の前にいる困った人を見て見ぬふりをせず即座に助けられる人間だった。また、容姿をいじったり差別したりしない小学生だった。

いじられて軽んじられてきた人間からしてみると、当たり前に助けられた経験は心のお守りのようになる。

学校でどれだけひどい言葉をかけられても、正当な扱いを受けた経験があったから「おかしいのは軽口を叩くこいつらだ。もっとおかしいのは、その軽口を注意できない周りの人間だ。」と心を強く持つことができた。

それからAくんとは顔を合わせれば会釈をしたり、たまに同じ長机に申し合わせたように座ったりもした。

「Aくんと同じ中学に行きたいな。」
なんて下心丸出しで中学受験も考えたが、桐朋学園は中学から男女別になるらしいし、普通にレベルが高過ぎた。

吉祥寺とも三鷹とも言えない場所が私のホームだ

再会と最悪

公立中学進学と同時に私は塾を辞めたが、中2の夏ごろから高校受験対策で再び通い始めた。
そこで私はAくんと再会する。

いや、最初はAくんとだと気付かなかった。

こんがりと日に焼けた少年とすれ違った際に軽く会釈をされた気がしたので、振り返りその主を探すとAくんだった。

Aくんは附属の中学に進学してから運動部に入ったのだろう。色白の肌はこんがりと焼けて、高く見えた背丈は成長が止まりちんまりと見えた。

幻滅だ。

いやいやいや、何を言っているのだ!
「見た目で判断しなかった人」に対して、私は何「見た目で判断」して「幻滅」しているのだ。

そんな正論が一瞬頭をよぎったのだが、私も花の中2である。
最高純度の幻滅の感情が押し寄せてきて、私は負けた。

小学校時代のお礼を言うこともなく、再び会釈をするだけの仲となり、中学卒業と同時に私たちはその塾を卒業した。

そう。私は相手の容姿に何かを期待した上に、お礼の言葉すら言えない少女だったのだ。

私たちは急に誰かと出会って救われる

2021年10月某日、私は国立駅から桐朋学園を目指す。

グーグルマップの徒歩14分という表示に少し身構えたが、初めて歩く大学通りは気持ちよく、なにしろ散歩日和だった。
そう思ったのも束の間、次第に雲行きが怪しくなり大粒の雨が降り出す。私は近くの店舗の軒先に駆け込んだ。

「疲れた?」
ふと声がした気がして隣を見ると、こんがりと日に焼けたポニーテールの女の子も雨宿りをしていた。
10歳の私だ。

「30歳はだんだんきつくなってきたよ。Aくん、毎日この道のりを往復してたんだね。」

「10代は余裕でしょ。」

人生は一度きりな上に、私たちはそれなりの早さで歳を取り身体も衰えていく。
10歳の混じりけのない答えにうなだれていると、さらに10歳の私は続ける。

「20年後の私は容姿に基づく差別をする人を心底嫌っているし、自分自身も気を付けているよね。あと、見て見ぬふりをしない。ちゃんと意識しながら生きてる。そういうとこ好きだよ。」

「ありがとう。それなりに頑張っているよ。仕事でも、日常生活でも。Aくんに救われた原体験があるし、助けられたお礼を言えなくて後悔した経験あるから意識できてるんだと思う。」

「いやもう中2の私はサイアクだったよね。まじで最悪。」

「最悪だったね。笑っちゃうぐらいサイアクだった。でもね、その道のりも含めて私なんだと思う。」

雨粒を眺めながら、私たちは何をするでもなく佇んでいた。しばらくすると、雲間に日が差してきた。

「そろそろ行くね。」
10歳の私が言う。

「もう行っちゃうの?せっかくだから一緒に国立散策しようよ。」

「私はいいや。Aくんとの思い出だけで国立に良いイメージを持ってるから、それだけで十分。あなたはさ、何十年後かのために国立の本当に良いところをその目で確かめなよ。」

『あなた』って…。10歳の私は変に大人びているので少しムカつく。

「何十年後かのためってどういうこと?」

「Aくんとの思い出、助けられた経験を風化させないためにってこと。シンプル過ぎる思い出は消えていくよ。大人は都合が良いからね。国立の良い部分をアップデートして、Aくんの思い出をきちんと保存しておいてほしいの。」

なるほど、良い思い出は長く保存できるよね。わかってるじゃん。

「ありがとう」
と言いかけたが、既に女の子の姿はなかった。

私は雨のあがった大学通りを歩き出す。
桐朋学園まであと少し。ついでに、前から気になっていた谷保駅近くの小鳥書房にも行ってみようかな。

意外と歩けるもんなんだよ、これが。

text by AKIYAMA
アキヤマ
労働と労働の間で探し物をしている
家では介護や家事をして、昼間は地方公務員として働いています。そのスキマで映画見たり本読んだり、俳句作ったり、自治体が作るジェンダー平等冊子でライターしたり、通信大学で福祉を学んだり…スキマに色んなことを詰め込んでやってます。
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