【徒然本店】「小説」を読まない私でも「本屋」が好きな理由
国立本店メンバーによる連載エッセイ「徒然本店」、今回はかつたあさみがお届けします。
今年も桜の花が街路樹を彩った後、木々に新緑の葉が生い茂り、目に映る季節はすっかり春となりました。
桜の花が満開時は例年のような国立駅南口側の大学通りを人が埋め尽くすほどではありませんでしたが、それでも僅かなひと時を桜と共に楽しもうとカメラ片手にお散歩する人々の姿がありました。
私も夜桜を楽しみながら、その美しさや儚さに引き込まれそうになりながらぼーっとしていると、唐突ですが大人になってから「小説」を読まなくなった理由がふと腑に落ちてきました。
「小説」を読まなくなった理由
国立大学通りの夜桜 今年も綺麗でした
桜(私の場合は特に夜桜)のもつ、綺麗さ、儚さ、幻のようなあの世界観はどこか自分をこの世から引き離していくような感覚をうけます。
それは「小説」を読むことで物語の世界に入り込み、現実でのバランスが崩れそうになる感覚と似ている気がします。
若いうちは小説のもつ世界観にどっぷり浸かることが、見たくない現実から引き離してくれるようでありがたい存在でもあったのですが、少しずつ大人になるにつれ、しんどくなりました。
自らの生活では味わうことのない“様々な”感情に引っ張られることが耐えられなくなっていったのです。
私と本との距離
それでも時間があるとつい本屋に立寄ってしまいます。
小説を含む本の背表紙を見て、タイトルからどんなお話なのか想像してみるくらいの距離感がちょうどいいからです。
私はきっと妄想豊かなんでしょう。タイトルだけで十分楽しめるし、タイトルだけを繋げて「読書」しているようなものです。
だいたい本屋に行くと、自分のルートが決まっていて、マンガの新刊、ビジネス書、週刊誌やファッション誌、最後に小説のコーナーとまわります。
似たようなルートでも、本屋毎の個性があり、それを何となく感じるのも楽しみです。
最近はネットショップで欲しい本はすぐに手に入れられますし、関連書や関心のありそうな本もちゃんと提案してくれます。
それでもやはり、街の本屋で本が集積されている環境だからこそ、こちらが意図せずに出会ってしまう本や、画面越しでは分かりにくい質感などを五感で感じられるのは、かけがえのない時間です。
本が並んでいる姿にぞくぞくします
「本の中身をしっかり読み込んで欲しい」
もちろんこれは作者含め本を制作している方々の想いであることは理解しています。
でも、本との付き合い方も多様であっていいのかなと、自分を許す口実を作っています。きっと私が想像もしない本との付き合い方がある方も多数いらっしゃるのではないでしょうか。
是非、色んな方の本との付き合い方、距離感など聞いてみたいものです。
フリーランス/ものづくりする人の為の裏方コーディネーター
「ものづくり」=人を幸せにしたいとの想いから生み出されるものと捉え、伝統工芸品からネット界隈のエンタメまで幅広くアンテナを拡げて、カタチにしていく、誰かに届ける為のプロセスを作り手と一緒に楽しんでいます。