2016.05.09

【国立本10】これまでとこれからの国立本店 – その3 国立本店に店長がいた頃 –

「D-net Cafe!? 1255」や「KISS CAFE」といった拠点で萩原修さんが実際に経験してきたことを生かし、「やっぱりみんなで集まる拠点が欲しい」という想いから立ち上げた「国立本店」。7人のメンバーを募り、その中から店長として国立本店の運営を担う人を立てていたのは、第一回目コラムの通りです。

第三回となる今回のコラムでは、今とはだいぶ状況の違ったであろう、3人の「店長」によって運営されていた頃の国立本店に焦点を当てます。現在はメンバー35名で運営を担う「メンバー制」。店長がいた当時はだいぶ雰囲気も違ったはずです。

さて修さん、店長がいた頃の国立本店ってどんな場所だったのでしょう?


 
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「国立本店」が立ち上がった当初の運営のしくみは、今呼ぶなら「店長制」。店長は国立本店の中に自分の事務所を構え、お店も運営していました。運営は基本、店長とお店番の2人体制。月に1、2回程度のお店番をしてくれる人を募集していました。店長の役割はお店番のシフトコントロールでした。2年ごとに店長が代わり、計3人、6年続きました。その間は、展示が中心だったり、イベントをやったり、今とは違うかもしれないですが継続的な展開をしていました。

最初の店長はデザイナーの三星安澄さん。月に何回か彼と僕で「どういうふうにやっていこうか」と話し合っていきました。三星さんの時代には「かみの工作所」という取り組みが始まりました。正確にはそれ以前から福永紙工さんと取り組んでいたものですが、建築学科出身の彼は紙を加工することに関心が高く、このプロジェクトに加わり、ロゴや販促ツールなどを手がけていきました。

「国立本店」の最初のサイトも三星さんのデザイン。7人のメンバーで、色んな空想のプロジェクトを立ち上げようと考えました。国立にラジオ局を作ろうとか、映画館を作ろうといったアイデアがあったり、白馬の別荘を新しい形にしようと皆で白馬に泊まって片づけたりしたことも。思いだせないくらいの色んな事がありました。

二代目店長の和久倫也さんは自身の建築事務所「wakuworks」を構え、現在国立市谷保にある「やぼろじ」の素となる活動をここで始め、三代目の丸山崇さんはこれを機に用賀から引っ越してきて、その後地域情報誌「たまら・び」を一緒に始めたりもしました。3人の店長それぞれがここでの活動を軸に、次の展開を見せていきました。

店長が変わるとお店番も来店する人も如実に変わりました。3人とも事務所を初めて持ったので、国立本店が開いていることで色々な人が来て、それがそれぞれの仕事に繋がっていきました。ここがあったことで、「ののわ」を一緒にやることになるデザイナーの宮内さんとも出会いました。

てぬコレ(※注)」も、国立に住んでいて偶然ふらっと立ち寄った中村さちよさんというデザイナーがきっかけ。ちょうどメンバーで打合せしていたところだったのですが、彼女がデザインした手ぬぐいを見せてもらって「それいいね」と即決。中村さんには、国立出身のカメラマンの加藤アラタさんを紹介してもらって、東京にしがわ大学の写真、ののわの写真の仕事にも繋がっていきました。

振り返ると国立本店での繋がりから始まったプロジェクトがたくさんあったんですよね。

(※注)てぬコレ…国立本店のオープン前に、「グラフィック」「プロダクト」「クラフト」「建築」という4つのテーマで8人ずつ呼んで行った展覧会のうち、「グラフィック」枠を発端とした手ぬぐいの展示・販売イベント。その後6年間、毎年夏になると何週かに渡って行い確かな収益源となり、国立本店の家賃を支えたという。

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