2016.03.12

【国立本10】これまでとこれからの国立本店 – その2 国立本店前夜 –

国立駅から歩いて5分の路面店を借り、場をシェアする7人のメンバーで内装を手掛け、運営する店長を据え、デザインや建築の面白さを伝える拠点として2006年に動き出すこととなった「国立本店」。

本コラムの第一回目でも触れたように、主催者であった萩原修さん曰く「拠点が欲しかったからすぐに借りることにした」場所ですが、「拠点が欲しい」という考えの根底には、会社勤めをしながら行ってきたいくつかの活動で感じたことが大きく影響しているようです。

第二回となる今回のコラムでは、萩原修さんが会社勤めしていた頃から、独立し、国立本店を立ち上げるまでに行ってきた活動に焦点を当て、「拠点を持つ」ということ、「集まって運営をする」ということに対する、当時の修さんの思いを追体験しようと思います。

さて修さん、国立本店を立ち上げる前はどんな拠点に関わってきたんですか?


 
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国立本店の構想につながる二つの拠点を紹介します。僕が最初に関わった拠点が、吉祥寺の「D-net Cafe!? 1255(ディーネットカフェ・ワンツー・ゴーゴー)」。2001年1月9日から3月18日までの十週間だけオープンしていました。取り壊されるビルの2階の一室、50㎡くらいの「集まる場所」。

それまでも「D-net」というデザイナーの交流会を2ヶ月に一回、都心のいろんな場所でやっていたんですけど、この拠点は吉祥寺で開くことになりました。知り合いがオーナーだったので、ビルの建替え自体のプロジェクトを手伝っていたのですが、一室空いてタダで使っていいよ、と言われたのが始まりでした。それまで拠点の運営は未経験だったんですけど、D-netの仲間もいたし、3ヶ月ならできるんじゃないかと。

今では有名な家具屋「STANDARD TRADE.」、グラフィックと空間両方をやっている「andesign」、照明デザイナーの村角千亜希さん、その頃はまだ駆け出しの20代くらいの人たちと一緒に空間をつくりました。自分たちで余計なものを全て壊して、白く塗っただけの改装で、サロンや販売スペース、ギャラリースペースを設けました。

当時、新宿の会社に通っていたので早めに抜けて、夕方5時から開始。僕は毎日いて、店番がいない時は一人でやってました。トークイベントもやりました。

武蔵野市の当時の市長、建築家の五十嵐太郎さんや「ミリメーター」など色んな人が来てくれたんですよ。都心から少し離れた、吉祥寺という自分の住むエリアでもこんなに人が来てくれるんだと。その経験がまずあって、「拠点を持つってすごくいいな」と実感しました。

「D-net Cafe!?」で「NPO.Kiss」という、当時は武蔵野市のWEBサイトや地域通貨等を担っていた団体と出会い、「D-net」同様に拠点が欲しいと相談を受け、吉祥寺駅前のマンション6階にある部屋を自由に改装していいと言われました。先の「ミリメーター」や建築家の長岡勉さん、国立の「プランターコテッジ(現存せず)」で活動していたアーティスト・小池雅久さんなどのメンバーで、壁を壊す、ペンキを塗るなどし、2002年4月、行くと誰かがいる「KISS CAFE」というまちのリビングルームをつくり、運営をしました。これがもう一つの拠点です。

この活動では大きく二つの課題が見えてきました。まず、運営を十数人でやってましたが、なかなかうまくいかなかったんです。限られた人数でどういうふうに何をやろうかと考えるのだけど、皆、他に仕事を抱えているから、「やりたいことをやりたい」。そのやりたいことを提案すると没になったりする。それが嫌になって一人抜け二人抜け、状況を改善できそうになく、やがて僕も抜けることになりました。

もうひとつの課題は、活動する為の拠点なのに、「この場所(拠点)をどうしようか」という話ばかりになってしまうこと。全然活動になっていかないんですね。運営は運営で必要なことなんですけどね。

「KISS CAFE」から離れ、2004年には会社も辞めたのですが「やっぱりみんなで集まる拠点が欲しい」という想いがあり、「D-net」や「KISS CAFE」での経験も生かしながら、「国立本店」を立ち上げることにしました。(その3に続く)

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