2017.06.07

【喫茶クニタチ】第六回/葡萄屋

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喫茶店はかつて、人々の社交の場として賑わっていた。店主のこだわりが行き届いた空間には淹れたてのコーヒーが香り、テーブルの上のガラスの灰皿からは紫色の煙がたちのぼっていたのかもしれない。そこで人々はどのような話題に盛り上がり、どのような音楽やファッションに心踊らせ、どのような出会いと別れを繰り広げてきたのだろう。当時の記憶を持たない私たちには、その時代の空気や人々の息遣いを物語のなかから感じとることしかできない。

学園通りにたたずむ老舗の喫茶店「葡萄屋」には、そんな物語が今でも息づいているように思えた。

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::: 記憶のなかに息づく喫茶

3月29日。葡萄屋へはじめて訪れたその日はあたたかな初春で、軒先にはサクラソウが咲き誇っていたのを鮮明に覚えている。

店の中へ入ると、溢れるように見事に咲いた花々が出迎えてくれた。お客さんのひとりはカウンター越しに店主と親しげに話し込み、もうひとりのお客さんは店内の小型テレビで甲子園を観戦している。店主の武藤君美子さんはこちらの姿に気がつくと、満面の笑みを浮かべてそこへ招き入れてくれた。純喫茶らしい外観からはどこか敷居の高さを感じていたけれど、中へ入ってみると窓からの日差しがやわらかな、心地よい空間が広がっていた。

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葡萄屋が国立の地に生まれたのは今から45年前のことで、その歴史はもうすぐ半世紀になる。武藤さんの年齢を聞いたときはとても驚いた。彼女の肌はつやつやと輝いて、背筋はピンと伸び、とても若々しく感じられたからだ。

千葉県出身だという武藤さんは、26歳の時に結婚して国立にやってきた。「職場が六本木だったから通勤に往復6時間もかかって、本当に大変だったわ」と、武藤さんは微笑みを浮かべながら当時を振り返る。国立のアパートで暮らしはじめて3年が経ったある日、仲の良かった隣の部屋の女性から「一緒に喫茶店をはじめませんか?」と声がかかった。武藤さんはふたつ返事で飛びついたという。その理由を尋ねると、「コーヒーがすごく好きだったから」と朗らかな言葉が返ってきた。

その囲炉裏(いろり)という名前の喫茶店は、大学通りの蕎麦屋“更科甚五郎”のすぐ近くにあったそうだ。時は昭和の喫茶店全盛期。一杯のコーヒーと会話を求めて、お客さんは絶え間なくやってきた。遊ぶ暇もなく働き続けて約半年が過ぎたころ、武藤さんは「自分でも店が持てるのではないか」という手応えを感じ、喫茶店・葡萄屋の店主としての独立を決めた。

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::: 昭和46年、喫茶店・葡萄屋のはじまり

初代葡萄屋の建物は、西1丁目にある“スーパーさえき”のほど近くにあった。都庁勤めのオーナーが手がけたその物件は、美しい奥さんが経営する葡萄屋という名の英国風パブになるはずだった。結局、その奥さんがお店に立つことはほとんどなく、貸店舗になっていたところを喫茶店として使わせてもらうことになったそうだ。

「葡萄屋の2階には住居があり、そこで主人と暮らしはじめました。1階の店舗の前には『葡萄屋』の文字が施された手作りの銅板がかかり、壁は素焼きのレンガ造り、天井には木目が美しい、細部までこだわりの光る素敵なお店だったんですよ」

静かな住宅街の隠れ家のような喫茶店は、近隣の音楽大学に通う感性豊かな女学生たちの溜まり場になった。彼女たちに吸い寄せられるように、男性客も次第に増えていったという。
葡萄屋は国立の学生たちに支えられてきたのだと、武藤さんは懐かしそうに当時を振り返る。

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国立のまちは、大正から昭和にかけて広大な雑木林を切り開き、一橋大学を中心に据えた“大学町”として誕生した。昭和40年には、富士見台団地完成による住民増加に伴って“国立市”の市政が敷かれた。高度経済成長期には郊外のベッドタウンとしての人気も高く、夕飯時の商店街は溢れかえるような人々で賑わっていたという。

そんな“まち”としての過渡期にあった中心街から少し外れた葡萄屋は、日常の喧騒からほっと一息つける場所だったのかもしれない。武藤さんが「よく遊びに来ていた」と語る学生たちにとって、葡萄屋はのびのびと過ごせる“遊び場”だったのだ。

「あの頃、喫茶店はまちの人たちの社交の場でした。ここに来ればきっと誰かに会えると、人が人を呼んでいたように思います」

音大の女学生に時折アルバイトに入ってもらいながら、朝の10時から夜の10時まで葡萄屋を開けていた。まちの人たちは、ここで待ち合わせでもしているかのように葡萄屋に集まっては、顔見知り同士のグループをつくって、ふたたびまちへと繰り出していく。インターネットも携帯電話もない時代、喫茶店は人と人が繋がるための特別な場所だったのかもしれない。

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::: 喫茶店時代の終わり、そして

喫茶店全盛期は、バブル崩壊とともに終わりを告げた。かつて路地裏に立ち並んでいた自宅の一部を改装した喫茶店はほとんど姿を消し、葡萄屋を含めたほんの数件のみが生き残った。やがてオーナーの意向で建て替えが決まった葡萄屋も、その場所を立ち退かなければならなくなった。

学園通りにたたずむ現在の葡萄屋が生まれたのは、平成5~6年頃のことだ。その頃の国立のまちにはスターバックスやドトールコーヒーなどのチェーン店の進出も相次ぎ、人々が喫茶店に求める役割も大きく変化していた。そんな中でも、馴染みの常連さんたちに愛されていた葡萄屋は、平成15年頃までは忙しい日々が続いていたそうだ。

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::: つづく、葡萄屋の物語

喫茶店全盛期からバブル崩壊後という時代を経て、45年間お店に立ち続けてきた武藤さん。まとまった休みもなく、もしかしたらずっと旅行にも行けなかったのではないだろうか……思わずそんな疑問を投げかけると、武藤さんは「この間、休暇を取って101日間の世界一周旅行に行ってきたばかりよ!」とにっこり。葡萄屋の店内には、キューバやミャンマー、ベナン共和国のお土産がさりげなく飾られている。

武藤さんには5つの趣味があるそうだ。ダンス、カラオケ、お花、麻雀、食べ歩きだ。すっきりと伸びた背筋や、店の窓辺に咲いているみごとな花々からも、武藤さんの趣味にかける情熱を垣間見ることができる。常連さんとも共通の趣味の話で盛り上がっていることが多いそうだ。

今度ここに来る時は、きれいに咲いていたコチョウランの育て方を、武藤さんが世界一周旅行で訪れた国の話を、昭和の喫茶店はどんな雰囲気だったのか、ここでしか知ることのできないことを訊いてみよう。
葡萄屋にはそんなふうに、訪れる人がその物語に繋がるきっかけがあふれている。

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昭和の時代、西1丁目の葡萄屋で青春時代を過ごした人々にとって、今でもこうして葡萄屋が続いていることはきっとすごく嬉しいことだ。そう話していると、武藤さんは「そうだったら私も嬉しいわね」と笑って、こう付け加えてくれた。
「あともう5年がんばって、半世紀を目指したい」

葡萄屋に訪れると、淹れたてのコーヒーの香りと、ひと手間かけられた美味しい手料理、店主の武藤さんがあたたかな笑顔で出迎えてくれる。
そうして、今でも誰かの特別な場所、特別な記憶をつくり続けている。

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(ライター:加藤優/写真:加藤健介)

 

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葡萄屋
国立市中2-22-76
電話:042-575-2178
営業時間:12時~18時
定休日:金・土・日

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