2016.07.02

【喫茶クニタチ】第三回/珈琲屋大澤

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喫茶店にはいろんな人生が集い、それぞれが思い思いの一服をする。
そこに必要なのが美味しい珈琲であることは間違いないだろう。
しかし、たまにカウンターの奥でその珈琲を淹れる人の人生をのぞいてみれば、カップ一杯の琥珀色の飲み物の中にどれだけの心がつまっているかに驚かされる。
喫茶店は珈琲を味わうだけでなく、人の生きざまを味わう場所だと気付かされるのだ。

::: 船乗りから一転、喫茶店のマスターに

マスターの大澤さんは静岡出身。地元やスペインで船乗りとして働いた後、銀座でのバーテンダー経験を経て、珈琲館国立店のマスターになった。

知り合いの誘いに乗って現在の神戸屋キッチン地下に珈琲館をオープンした頃、世はバブル。華々しい銀座の夜の世界をつぶさに見てきた大澤さんにとって、のどかな国立での生活は正直都落ちした気分だったそう。
「銀座と違ってネオンもないし、どうやってお客さんを呼び込もうか悩みましたよ。でもお店を出す時にたくさんお金借りちゃったから、とにかく誠心誠意働いて返すのに必死でした」

静かな町に変化が起きたのは山口百恵が引っ越してきてから。連日記者が町に押し寄せ、「国立」の名前が全国的に知られるようになった。
「駅前という立地もあって、近隣のスーパーや銀行の社員さんでよく賑わっていましたよ。学生も多くて、国立一中の卒業生が高校生になって店に来て、そのつながりで来店した方も常連になったり。中には今でもお付き合いがある方もいますよ」

しかし時代が移り変わるにつれバブルは弾け、日本は不景気に。特にお金のない学生の客足は遠のいた。
「不思議だね、時代って少しずつよくなっていくものだと思うんだけどねえ……」

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::: 倒れて失ったもの、気付いたもの

日本中が不況に見舞われながらも営業を続けてきた珈琲館。しかし4年前、そんな大澤さんに突然の転機が訪れる。
「頭がふらふらとして、でもしばらくすると元通りになるから気にしないでいたんだけど、さすがにちょっとおかしいなっていうんで救急車呼んだら脳梗塞で入院になっちゃった。ベッドで少し休んでたら治ったなと思って店に帰ろうとしたらお医者さんにいい加減にしろ!って怒られちゃった(笑)」

病気を機に店をたたむつもりだった。しかし、常連のお客さんの「大澤さんのお店がなくなったら珈琲を飲む所がなくなる」という言葉を胸に、紆余曲折の末、店を移転することに。初めて国立の地で珈琲館を開いた時とは全く違う苦労がそこにはあった。
「後から考えるとやっぱり脳をやられて判断力が落ちちゃっていました。喫茶店なのにお酒を並べたり、若いスタッフの子たちとケンカして揉めたり……。何かトラブルが起こるたびに頭が風船みたいにはちきれそうでした。今でもやめていった子たちのことはよく思い出します」

::: あの人が居てよかったと思われる生き方を

「このままではいけないと思いました。人生80年だとしたら残された時間もそこまで多くない。いい死に方をしよう。あの人が居てよかったと思われる生き方をしようと思いました。心に落ち着きを取り戻せるようになったのはここ一年くらいのことですよ」

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珈琲のこだわりは特に無い。楽しみながら営業できればそれでいいと穏やかに語る大澤マスター。もともとなりゆきで始まった珈琲稼業がここまで長く親しまれているのは、ひとえに大澤さんの人柄によるところが大きい。入院した時は常連さんがひっきりなしにお見舞いに来て病室がにぎわい、店が移転した時は「大澤さんの店だとわかりやすいように」と、店先に大澤さんのトレードマークである笑顔の写真を引き伸ばして飾ってもらった。しゃれた店の多い国立で店主の拡大写真が看板に使われているのは「いきなり!ステーキ」と「珈琲屋大澤」くらいだ。

マスターの人柄に呼応するように、珈琲屋大澤に集まるお客さんも気どりのない人が多い。話しかけるとどの人も気さくにこたえてくれる。取材した日は偶然昔の常連さんが数年ぶりに来店したようで、マスターは声を弾ませていた。元一橋大生で今は弁護士。学生時代に友達が大澤さんのもとでバイトをしていたのだそう。

これまで大澤さんの店にどれだけの国立の人たちが集い、羽を休め、また巣立っていったのだろう。「珈琲屋大澤があってよかった」と思われる大澤さんの喫茶店づくりはまだまだ続く。(ライター:ニシ/写真:加藤健介)

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珈琲屋 大澤
国立市東1-15-24 国立サニービル2F
電話:042-576-7066
営業時間:8時~21時

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